2016年4月30日土曜日

【夢日記】4月30日夜うたた寝中

先程うたた寝中に観た夢。

うたた寝中に観る夢はいつも大したことなく、くだらないのでここには書かないのだが、今回はかなりの緊張感を伴い、目が覚めてからもしばらくドキドキしていたので、書いておこうと思う。

以下、夢日記。

舞台は私がかつて2年間だけ一人で住んでいたアパートである。
そこで、知人(実在)と鍋をしている。

状況はよく分からないが、引っ越したあとのようである。
しかし、まだ入れるでしょってな感じで上がりこんでいるようだ。

しばらくして、知人が眠いと言いだした。
お酒がまわってきたらしい。

私はベットに寝たら?と自分がもたれかかっているベットの布団をポンポンと叩いて勧める。
引っ越した後のはずだが、ベットはなぜか元のままである。まぁそこは夢なのでよしとしよう。

しかし、「歌いたい」という。
カラオケに行きたい、ということだ。
まぁ、常々現実世界では知人とカラオケに行こうという話をしていたので、その願望が夢に出てきたのだろう。。。

時計を見ると、19時30分。
今から片づけをして出れば、20時には着けるよ、と言っている。
実際は早くても20時に家を出れる、だが、そこの時間は読み間違えているようだ。
ここは「早くカラオケ」に行きたい、という願望が夢に出たものだろう。
しょうもないな~、、、ほんとに。。。

そこで二人ノロノロと立ち上がり、片づけをする。

台所の作りは現実とは違っていたが、流し台の上にガラス戸の食器棚があり、そこに実際に自宅にあって、家族が気に入っているちょっと高めの食器が沢山並んでいる(実際はこんなに沢山はない)。

私はこれを見て、あ~、これは
持って帰らないと・・・しかし量多い・・と言っている。

そこで私はなぜか行きつけの歯医者(実在)に電話をしないといけないことを思い出す。
夜の19時半に一体何を電話しないといけないのか謎だが、とりあえず食器洗いを知人に任せ、携帯で電話帳を探っている。

そのとき、何気なく窓のカーテンを開いた私に戦慄が走った。

見知らぬ人の洗濯物(タオル)がベランダに干してある。

・・・ここの住人だ。

自分の荷物をまだ持ち帰りきれていない状態だが、ここには新しい住人が住んでいる・・・!
ということは、いつここに帰ってきてもおかしくないわけだ。

急に心拍数が上がる。

知人にもそれを伝える。
知人はあまり焦っていない様子で、私と一緒にベランダを眺めているが、私はいいから早く食器洗って!っと促している。

頭の中が混乱する。
が、一番先にやらないといけないのは、歯医者への連絡のようだ。

そしてその次に親への電話。これも何の為か分からない。

あと、ここの住人はあの食器を使っているんだろうかとも考えている。

私は歯医者に電話をしながら、2人分の靴をそっとベランダに持ち出す。

部屋は一階なので、最悪ベランダから逃走することも可能なのだ。

私は最悪の事態を考える。

ここで住人が帰ってきたら?

今並んでいる鍋や食器を、もうそのままベランダの外に出してしまおうか、、、とも考えている。

ドアの外で音がする度にびくっとする。

・・・ここで夢はおしまい。
家族に呼ばれた声で目が覚めたのだ。
しかし、緊張感マックスで、しばらく動けずにいた。



2016年4月29日金曜日

山形旅行

4月23~24(土日)にかけて、山形・天童に人間将棋を観に行ってきました。



ず~っと行きたかったんですよね~。
天童駅横にある将棋史料館も目的地の1つ。

あとは、将棋駒の実演販売で有名な栄春堂に行って、展示されている各国、各時代の将棋盤やルーツになったと思われるゲームの実物を見たり(奥の方がちょっとした資料館みたいになっている)、路上に埋め込まれている詰将棋に頭を悩ませたりと、初日は将棋尽くしの一日でした。


初日の人間将棋は想像以上に面白く、手に汗を握って観戦しました。
2時間近くが、あっという間でした。
これは是非来年も行きたい。





続いて将棋資料館。

将棋資料館に行きたかったのには目的がありました。

それは25×25マスの盤面で総勢354枚の駒で争う泰将棋の実物を見ること。

実際に見たときはその迫力に驚かされました。
駒の種類だけで93種類し、絶対1日じゃ終わらないね。

資料館にあった将棋駒の出土分布を見ると、京都が一番多いらしい。
泰将棋も京都で見つかったかまでは確認していないけれど、いずれもにしても将棋は時間に余裕のある貴族の遊びだったわけだ。優雅だなぁ。
ただ、実際さされていたかどうかは分からないらしい。

将棋資料館では、他に将棋駒の作り方や盛上駒、彫り駒の製作工程をまとめたビデオや、実際に使われている道具も展示してあったりで、とても面白かったです。



夜は地酒を堪能し、ほろよいで寝ついた翌日は芭蕉がかの有名な「静けさや~」の俳句を詠んだ立石寺のある山寺を散策。こちらもとても眺めがよく、景色もきれいで、すごくよかった。

桜がまだ咲いていて、日光を反射しながら、ひらひら・・・きらきら・・・と花びらが舞い散る様子がとても美しかった。
これは写真には撮れない美しさ。(プロは別として)
目に焼き付けてきました。忘れることはないでしょう。

桜と言えば、前日はしだれ桜のライトアップをしていました。

ちょうど宿のすぐ近くを流れる川沿いでやっていて、延々と続くしだれ桜がライトアップされている様子は壮観。

時期的にはちょっと遅く、満開の時期を過ぎてはいましたが、それでも見応え十分でした。

日中見るよりも、夜ライトアップされている方が、見応えがあるように感じました。

山寺のあとは山形市内を観光。

非常に楽しい旅でした。

将棋祭りは来年も行きたいなぁ。
ついでに足を延ばして、さらに北の方の地域にも行ってみたい。

2016年4月28日木曜日

【夢日記】4月27日朝

また、小学校の同級生が出てきた夢だった。

複数見たが、覚えているのは2つだけ。断片だが、記しておく。

その①

知人(実在)と、その他数名と連れ立って電車に乗って、出店の沢山でるイベントへ向かっている。
その他数名の中に、小学校の同級生が含まれていたようだ。

車内は空いていて、私は長い椅子の一番端に座り、知人と小学校の同級生A(多分実在、誰だか忘れた)が自分のすぐ横にある手すりにくっつくように立っている。
ちょうど2人が私を見下ろしているような感じである。

3人で会話をしていたが、知人が何か私に対して冷たいことを言った。
Aも知人に同調している。
現実世界の知人は決してそんなことを言うような人ではなく、夢の中の自分も同じ認識だったから、そのことに私はひどく落ち込んだ。
なお、言われた具体的な内容は覚えていない。

この時、私の頭の中に浮かんだのは、小学校の同級生で、実在のKさんのことだ。
彼女は笑顔がかわいく、そしてお姉さん的なところがあった。
小学校を卒業してから20年くらい経つが、彼女を思い出したのはこれが初めてだろう。
本当に夢とは不思議だ。

彼女や、他の優しかった同級生の女の子の顔が2人くらい頭の中に浮かんだ(いずれも実在)。

気付くと、私は一人ぼっちになっていた。
途中の経過は分からないのだが、どうもひどいことを言った知人たちと別れ、目的地の駅に着く前に途中下車したようである。

そこは見知らぬ商店街。
全体的に青みがかった霧がかかっているように見えるのは、そのアーケードは屋根があり、さらに外が曇っているせいのようだ。

目的地まではそこから歩けることが分かっている。
しかしそこは電車で行きたかったところ。
現地について、知人たちと合流できるかどうかも不安である。

暗い気持ちでとぼとぼ歩き、屋根のあるアーケードから路地を左に曲がる。
雨が降りだしているようだ↓↓↓

その先がイベント会場で、すでに露天もぽつぽつと現れ始めた。

すると、、、なんと、向こうから傘を持って走ってくる男性がいる。
驚いたことに、今の出向先の社員の人(実在)で、普段全く交流がない人である。

その彼が自分を迎えに来てくれたのである。
これは現実の私も夢の中の私もびっくりの出来事であった。

夢の中の私はほっとした。

ここで夢①は終わる。

その②

職員室のようなオフィスに私が入っていくところである。
どうも出向先の職場らしい(実在しない)。

その部屋に私が入ろうとしたとき、入口のところに見知った背中が・・・!

これは・・・!

それは、前の職場でよくお世話になった人であった(実在)。

さらに、同じく一緒に仕事させてもらっていた前職の人(実在)もいるではないか!

嬉しくて、2人の背後から、わっと割って入る。

・・・が、彼らの反応は暗い。
「あ、久しぶり」・・・みたいな。

私のテンションは一気に下がる。
「あ、はい、、、」とか言っている。

すると、彼らと一緒にいた背の低い女性が、
「あ、お知り合いなんですね!」と声を掛けてくれた。

だが、それ以上に私は2人の反応が薄すぎてショックを隠し切れないでいた。

②の夢ここで終了。

・・・なんか、今日の夢は寂しいね。
信頼していた人に裏切られたり、一人になったり、、、共通点がある。
でも同じく共通にしているのは、最後に必ず声を掛けてくれる人がいることだ。
それが救いではあるのだが。



マルサンの白桃豆乳飲んでみた

白桃豆乳なんておしゃれな豆乳見つけてしまいました。

これはうまい!

本当に白桃ジュース飲んでいるみたい。
もちろん舌触りはとろりとしているのだが、豆乳を最後まで感じさせなかった。


フィリップ・K・ディック著『電気羊はアンドロイドの夢を見るか』

フィリップ・K・ディック著『電気羊はアンドロイドの夢を見るか』(早川書房)

超有名な作品だが読んだ記憶がないので、今回初めてだと思う。

第三次世界大戦でボロボロになった地表と、高度なテクノロジーが融合した世界を、鮮やかに読者に想像させながら読ませるものだから、まるで映画を観ているような気分になる。
と思ったら、「ブレードランナー」の原作だったんですね。知らなかった~。
「ブレードランナー」は観た。そのイメージがあるのかな。でも小説のイメージとぴったりだった。

人間とアンドロイドの駆け引きの話に思えるが、実際は実在する世界の大国たちの政治的駆け引きの話でもある。

結果としてこんなに荒んだ世界になってしまうのなら、テクノロジーも高度な知識も期待すべきものではなくなってしまう。

SF小説ってあまり読まないけれど、豊かな地球を描いたものってあまりないような。。。

2016年4月27日水曜日

山内昌之著/佐藤優著『新・地政学―第三次世界大戦」を読み解く』

山内昌之著/佐藤優著『新・地政学―第三次世界大戦」を読み解く』 (中公新書ラクレ)

『大世界史』に続く、佐藤さん共著の地政学のお話。
『大世界史-現代を生きぬく最強の教科書』を読んだときの日記

『大世界史』よ読んで、世界情勢は史観なしでは語れないということを知ってなるほどーと思ったので、その延長でこの本も読んでみた。

今度のテーマは「地政学」。

関連する書籍があまりないことと、そもそも「地政学」で語られる世界情勢が複雑すぎて、縁遠く感じてしまうが、この本は難しいなと思いながらも最後まで読めたのでよかった。
特にお二人ともイスラム圏の情勢についてはプロフェッショナルなだけに、現在の混沌を究める状況を歴史を遡りながら丁寧に語っている。

ものすごく知識人な二人だが、その辺はわかっているよね、的なところはなく、ちゃんと順序だてて説明してくれるので、途中で挫折することはなかった。

ただこれを読むと、自分のように日頃安穏と暮らしている人間とは全く違う感覚をお二人が持っていることが非常によく分かる。

お二人が感じている危機感は日本についてもあてはまる。
隣国との関係、資源、移民問題、今はさほど気にならないが、いずれも自分のように国内外のことに疎い者までが無関心ではいられない日が来るのかもしれない。

伊坂幸太郎著『ゴールデンスランバー』

伊坂幸太郎著『ゴールデンスランバー』(新潮社)

なんか哀しい小説だった。

これまで読んだものはいずれもハッピーエンドにならないのに、なぜかかなしさを超える爽快感に満ちていて、気にならなかったけれど、今回のは違った。

主人公ですら自分の状況に賦に落ちないでいるのだから。

だがしかし、ここに描かれている世界は紛れもない現実世界。

監視社会

劇場型社会

監視社会の中で、見えない力によって役者に仕立て上げられてしまった青柳君。

最後は彼にふさわしい舞台までセッティングされる。

別の人間になることによってでしか逃げられない。

本当に怖い世界を描いている。

見えない力(権力)はどこから忍び寄ってきたのか。
その出元を知ると、ますます怖くなる。
そこは小説の醍醐味だから伏せておくけれど。

2016年4月18日月曜日

ワンダーコアスマート経過報告

4月4日からワンダーコアスマートを使い続けて、今日で2週間。

少しぽっこりしてきた?と思ったお腹はひっこみ、腰回りもちょっとすっきりした気がします。

運動のために時間を割いたことはなく、化粧のついで+勉強のついでにちょっと使っていたくらい。

マイペースにやらないと続かないからね~。

気にしているのは上半身よりも下半身なのだけど。

また経過報告したいと思います。

山形に行ってきます

今週23日~24日の土日にかけて、山形の天童市で開催される将棋祭りに行ってきます。

人間将棋を見てくるよ~。

楽しみです!

オノ・ヨーコ著、飯村隆彦編『ただの私』

オノ・ヨーコ著、飯村隆彦編『ただの私』(講談社文庫)

4月2日(土)、目黒川沿いの桜を見るついでにふらっと寄った古本屋カウブックスにて購入。

オノ・ヨーコという人を直接見たことはないが、好きなタイプの人である。

学生時代、木場の東京都現代美術館でやっていたオノ・ヨーコ展は、会期中2回も足を運んでしまった。

この人の魅力は、行動力だと思う。

思ったら、やる!それも、かなり勇気のいることを。

60年代から前衛芸術をやっていたってすごいよ。
しかも、この人超が何個もつくほどのお嬢様で、子供の頃は豪邸に住み、付き人までついていたらしい。

その人がどういう経緯で前衛を。

実は私はこの本を最後まで読んでいない。

私は意気地なしなのだ。

というのも、この人は社会の現実にバシバシきりこんでいく。

女性の立場、日本独自の風習、よかれあしかれ、耳に痛いことも、この人は直視して、発信する。現実を認めたくない私は耳を塞いでしまう。

読書記録に書くのもどうかと思ったが、それでも半分くらいは読んだので書いておこうと思った次第。

最後に、この人は、さまざまなバッシングを受けてきた人だ。
同書の中で、本人も「つらかった」と言っている。
それも理不尽な言いがかりとしかいいようがないような。

それでも発信を続けて、現在も現役で活動を続けているというのはすごいことである。
そういう強さがこの人が好きな所以である。

池井戸潤『七つの会議』

池井戸潤『七つの会議』(日本経済新聞出版社)

朝の満員電車の中で、人の肩越しにチラ見して、5行くらい読んだところで、これは面白そうだぞ!と直感。

家に帰って親に聞いてみると、なんと単行本が家にあるという。

早速読んで、あっという間に読み終わってしまった。

伊坂幸太郎に続く、私の大ヒット作品である。

あまりにも、面白かった。

そして、あまりにもえぐかった。

そのえぐさは、血なまぐさいものではなく、目に見えないもの、すなわち人の心のえぐさである。

えぐい。非常にえぐい。

どれだけえぐいかは、作中の「魂を売る」という言葉が示している通りである。

この本のテーマを言ってしまうと、読み進めていくうちに全容が明らかになっていく同書の面白さが半減してしまうのでひみつである。
是非ご一読をお薦めします。

最近単行本が出たみたいですね。
電車の人が読んでいたのはきっとそれだな。



【夢日記】4月15日朝

前の前の前の家が出てきた。

不思議なことに、今まで私が住んだ計7件の家のうち、この4件目の家以外が出てきたことはない。あるかもしれないが、記憶がない。

この家は私が小学生の頃住んでいた家であり、小学生の同級生が夢に頻出する事象と関係しているのかもしれない。

23年間の学生生活の中で、小学校が私にとって一番楽しい時期であった。

さて、今回の夢は記憶に残っている部分はあっけないものである。

家がアルコールで浸水して、そこに本を落としてしまい、ますます焦るが、意外にも拾い上げた本はあまりぬれていなかった、というものである。

1行で終わってしまった。

もう少し具体的に書くと、階段を上がって2階に行こうとしたら、足元が濡れている。

あれっと思ったら、床が浸水している。

えーーーっ!!!となりよく見てみたら、足元を浸しているのは、水ではなく、アルコール(理科の実験で使うアルコールランプの瓶に入っているような無色透明のやつ)である。

そのとき、両手に本を持っており、さらに階段に置いてある本を取ろうとしたか置こうとしたか忘れたが、それは人から借りた本だったようで、パニックになり、誤って2~3冊本を落としてしまった。

慌てて拾い上げると、ウォータープルーフ仕様なのか、意外と濡れている範囲が少なく、安心したところで、夢は終わった。

2016年4月12日火曜日

【夢日記】4月12日朝

うわあああぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ、小学校の元同級生のT君がまた夢にでてきたぁぁぁぁああああああ!!!!!

何なの?!何でなの???小学校の時も関わりなく、卒業後に至っては未だに会ったことも話したことも一度もない、私の人生への関わりゼロのT君が、この夢日記で書いている通り、何度も何度も何度も何度も!!夢に出てくるのだ。

前回の夢で、さよなら、って聞こえたのは、気のせいだったんだね、うん。

今回の夢では、とうとう対面で話していましたよ。
さらに、このブログも出てきましたよ(私の頭の中に、だけど)。
夢に現実が入り込んできているよ。
いつか現実に会っちゃうんじゃない?

でも、はっきり言えるのは、

私は彼の顔を見ても、分からない。
だって興味ないから。夢に出てくる理由も全く分からないし。

というわけで、今日の夢。長いよ。

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今現実世界で自分が住んでいる家の近くには、私が通っていた小学校があります。
その前の道はなだらかな車道となっていて、脇に細い歩行者用の道がある。

その光景がまず夢に出てきた。

ただし、夢では、登りと下りが逆になっていた。

現実では上りが夢では下り、なっていた。

で、夢の中でその道を登ったところに、T君の家があった。
※あくまで夢の中の話で、実際のT君の家は別の場所にあった。

今日はそこで、ガレージセールをやる、ということで、私は母と出掛けた。

T君は現実でもセレブの家のお坊ちゃまなのだが、夢でもそうで、広いガレージに、よくイベント会場で見かけるテント?の下に長机を並べて、両親と3人で本を売っていた。
机は3つで、1人が1つの机を担当していた。

テントの色は緑だった。

テントや長机を自前で調達している時点でセレブだなぁと感じた。

私は、T君が担当している机の前に行った。

そこにいたのは・・・やはり現実世界では想像できない、優しい微笑みをたたえたT君だった。
毎回そうだ。T君は私の夢の中では毎回必ず見たことのない優しい微笑みをたたえている。

ガレージセールの割には、売り手が書い手に熱心に本を勧めている。
私はT君の話をふんふんと適当に聞き、一通り彼がしゃべり終わったところで、

「・・・気付いてる?」と聞いた。

T君「・・・?」
私「〇〇(自分の名前)だよ」
ここで視点はいきなりT君に移る。彼の前にいた私は、今現在の私であった。
夢の中のT君と私は、今現在の年齢のようだ。

あー、と反応するT君。
そういわれれば、という感じ。まぁ、劇的に顔が変わるわけではないから、非常にリアルな反応である。

で、そこから軽く世間話をする。

今度の視点は私の背後に移り、話す二人を遠くから見ている。

ここからちょっと夢と現実が交錯する。
その話の中で、私はこのブログをmixiで書いていることになっていた。
この夢日記シリーズも含めてだ。
T君もmixiにいるらしい。
で、夢の中で私は、T君に自分の日記を読まれたら、この夢日記シリーズに出てくる「T君」が本人のことだとばれてしまうかな、と考えていた。

で、小学校卒業後の交友関係の話をしているときに、私は実際にmixiで再会して、しばらく交友関係にあったM(実在)の話をしようと思ったが、めんどくさくなってやめた。

途中、隣に母がいたのだが、あまり話を聞いていてほしくなかったので、先に帰ってもらうことにした(ひどいなぁ)。

そのうち、T君のうしろで、T君の父と母がテントを畳み始めた。

T君がちらっと後ろを振り返る。
で、私の方に向き直り、私もそろそろお暇しようと思い、じゃぁ、と言って帰ることにした。

で、また冒頭の坂を下る。

途中で母と合流するが、その合流の仕方がまた夢特有の独特のものである。

母は車いすのようなものに乗ってなだらかな坂を下っていた。

私はなんと担架のようなものに左右に2つの車輪がついたようなものに乗って、寝っ転がりながら下っていた。

道は細く、人とすれ違うときには、片側の車輪が車道にはみ出してしまう。

夢では、なぜか歩道と車道に高低差があり、歩道の方が高くなっている。

が、母は女性を一人追い越そうとして、片側の車輪を器用に縁にのせ、大道芸のようなバランスで走っている。私はそれを後ろからみて、すごいな、こわくないのかな、と思いつつ、母の真似をして同じように細い道を片方の車輪女性を追い越して、母と並ぶ。

すごくバランスとれてるね~とか言って話している。
ここで、夢は終わる。

簡単な絵でごめんなさい。





2016年4月10日日曜日

伊坂幸太郎著『アヒルと鴨のコインロッカー』

伊坂幸太郎著『アヒルと鴨のコインロッカー』(創元推理文庫)

『重力ピエロ』に続き、2冊目に読んだ同著者の作品。

今回も最後の方で「えぇっ!!」とさせられた。
まさかこう来るとは。
これが予測できていたら相当だろう。

伊坂作品の面白さは、文章の軽快さと言い回しだけではないことが分かった。
重要な要素として、温かみがあることだ。

普遍的な優しさにあふれてる。だからなんか安心してしまうのだ。

出てくる人はシャイな人が多いけど、裏表のない人たちだ。
そして、素朴だ。
そういう人たちが事件に巻き込まれているところを見ると、他人事とは思えなくなってしまう。

主人公が何千坪とあるような豪邸の子女で、資産問題に巻き込まれていて、探偵だの刑事だのが普通に出てきていては、感情移入できないのだ。

最後に、すごいどうでもいいことだが、重力ピエロのときもそうだが、何故登場人物は「美人」が多いのだろう。そこ強調する必要あるのかなぁ。そこだけ感情移入ができない。

次は『ゴールデンスランバー』を読む予定。

今日の万歩

2016年4月9日(土)

22、351歩

暖かくなってきたので、ウォーキング解禁、である。
ただ、今日はウォーキングを目的として行ったのではなく、会社の行事で行った街をふらっと歩いていたら、道に迷い、結果的に沢山歩くことになったものである。

【夢日記】4月8日朝

火事の夢を見た。

萌えている家はガラス張りの窓など実際にはないものもあるが、なんとなく雰囲気的に今の家に近い。それがメラメラと豪快に燃えている。

私は外で、「あ!」っと叫んでいる。

不思議と悲しさはなく、隣接する家に燃え移るのではということを気にしていた。

ぎりぎり自分の家で留まっているようだ。

おいおい、と思ったが、調べてみると火事は吉兆の夢のようである。

ワンダーコアスマートを買った

家で手軽に運動するために、ワンダーコアスマートを通販で購入。

ダイエット器具を通販で購入なんて、続かないパターンの典型のようだが、4日(月)から使い始めてから1週間無理なく続けられている。

まだ、1週間、だけどね。

おそらく理由は使うための時間を作っているのではなく、何かのついでにやっているからだと思う。

化粧しながら、とか勉強しながら、とか。

4日くらい経った頃から、使用中に体温が上がってくるようになった。
少し筋肉がほぐれてきたのだろうか。

ダイエットを兼ねてますので、大きな変化があったらご報告します。

2016年4月8日金曜日

花見~2016~

先週末1~2日(金~土)にかけて桜を鑑賞。
といっても去年ほどではなく、1日の金曜日は中目黒の桜をぶらっと。

2日は近所の公園で花見をし(花より団子状態であったが)、夜中目黒の桜を本格的に見た。
写真は2日の夜、中目黒駅のホームから撮った写真。


今年は週末天気がイマイチだった。
金曜日は見ている最中に雨が降ってきて大変だったし、土曜日は幸い曇りですんだが、はらはらさせられた。
花見では酔っぱらってにゃーにゃー言ってしまったが、楽しかった。
写真が一枚もないことから、初めから花より団子モードだったことが分かる。

「地図の読み方」特捜班著『世界地図のおもしろい読み方』

「地図の読み方」特捜班著『世界地図のおもしろい読み方』 (扶桑社文庫)

最近「地図」というキーワードがやたら浮かんでくるので、図書館で面白そうなのを借りた。

雑学の本という感じだが、各章が短いこともあり勉強の片手間に読むのにはいい。

面白かったのは、いきなり地図とは関係ないが、スペインとフランスの間にあるバスクのバスク語はなぜかスペイン語ともフランス語とも全く構造が違い、不思議なことに日本語と語順がほとんど同じで共通点も多いということと、世界には人口4人の国(シーランド公国、どの国からも国家として認められていない)があるということだ。

大国と大国の間に挟まれいる国とか、飛び地になっている国とか、国の中にある国というパターンが多く、大陸ならでは、というのを感じる。

あと、中国は国内に時差があるにも関わらず、「北京時間」が標準として使われているというのも知らなかった。


いずれも政治的、宗教的な背景もあり、なかなか実感がわかないけれど、読んでいて面白かった。

軽く読めるので、時間がちょっとあったときに、是非。

紀文の豆乳を制覇したい34

これまでの記録はこちら。

紀文の豆乳を制覇したい2~6(白桃・爽香杏仁・バニラアイス・フルーツミックス・抹茶)
紀文の豆乳を制覇したい7~8(ショコラ・いちご)
紀文の豆乳を制覇したい9~11(アーモンド・麦芽コーヒー・紅茶)
紀文の豆乳を制覇したい12(焼きいも)
紀文の豆乳を制覇したい13~15(梨、マンゴー、調整豆乳)
紀文の豆乳を制覇したい16(カップタイプのソイプレッソ)
紀文の豆乳を制覇したい17~18(ココア、バナナ)
紀文の豆乳を制覇したい19~20(巨峰、マロン)
紀文の豆乳を制覇したい21~22(特濃調整豆乳、カップタイプのかぼちゃスープ)
紀文の豆乳を制覇したい23(おしるこ)
紀文の豆乳を制覇したい24(キウイ)
紀文の豆乳を制覇したい25(しょうが)
紀文の豆乳を制覇したい26(ゆず)
紀文の豆乳を制覇したい27(グレープフルーツ)
紀文の豆乳を制覇したい28(おいしい無調整豆乳)
紀文の豆乳を制覇したい29(プリン)
紀文の豆乳を制覇したい30(パイン)
紀文の豆乳を制覇したい31(黒ゴマ)
紀文の豆乳を制覇したい32(甘酒)

毎回豆乳を感じさせない味で驚かせてくれるが、今回もさくらんぼの爽やかな味が非常にいい感じである。

なお、今回一緒に買ったのが、「さくら」。
そう、このシリーズの最初のものである。
ということは、一周したか?と思いきや、過去の日記を去年さくらを買ったのはなんと7月!!
テーマを考えると、今の時期にある方が自然な気がする。
なぜ去年は7月に売っていたのであろうか。
人気があったのかな。

7月~4月の10か月で一周しました。
タイトル通り制覇・・・してしまったら面白くないので、次の味の登場に期待!




2016年4月7日木曜日

日常のありがたさを感じる

先日パラレルワールドの夢(【夢日記】4月4日朝)を見て、恐怖で目覚めたとき以来、日常のありがたさを実感している。

先週の土曜日に歯医者に行った。

とか、

仕事でいやなことがあった。

とか、どうでもいいことや、いらつくようなことまで、全てがこれでいいのだ、と思えるくらいになっている。

夢で傷つく程繊細な人間ではないが、夢で見た「家族が、仲間が一人一人消えていく、あるいは家族や仲間がいないところに突然一人になる」恐怖が忘れられないのだ。

夢って不思議だなぁ。ほんと。
実際に体験していないのに、実際に感じたことを体が覚えている。

夢で見なければ、120%実感することはない経験だけどね。

結局、一人では生きていけないのだ。
周りの人は大事にしましょう。

補足:
このブログを書いたあと、久しぶりに先日の夢日記で紹介した「世にも奇妙な物語 #317 「そして、くりかえす」を見てみた。
そうしたら、設定は4/8。明日じゃん。
これが4/7だったら、恐怖でまた同じ夢を見てしまうかもしれない(=.=)

2016年4月5日火曜日

東野圭吾著『怪笑小説』

東野圭吾『怪笑小説』(集英社文庫)

先日読んだ『黒笑小説』のシリーズである。

普通の人なんていないという確信を高めてくれるのに十分である。
老若男女、誰でも狂気を秘めている。

前回の『黒笑』のときもそうだが、非現実的な話も混ざっているが、このシリーズは現実に起こりそうな状況を扱うのが面白いと思う。

非現実的な話は、私の好きな「笑ゥせぇるすまん」の題材に合う感じがする。

東野圭吾著『歪笑小説』

東野圭吾『歪笑小説』(集英社文庫)

『黒笑小説』、『怪笑小説』のシリーズ。

『黒笑小説』に出てきた人物が出てくるところを見ると、『黒笑』のあとに読んだのはよかったようだ。
全体的に出版業界に関する話で、業界の文化(?)的が垣間見れて面白い。
ここに書かれていることは本当のことなんだろうなぁ。
シビアな世界だ・・・。

この本の帯の文句が「だから作家になんて、なるもんじゃない!」だからな(笑)

それにしても、非常に現実的な話だけに、結末が悲惨だと、他人事では思えなくなってくる。
謙虚に生きなきゃだめだ、、、と思わされる。

【夢日記】4月4日朝

今朝の夢は、思い出になるくらい不思議なものだった。

不思議すぎて朝しばらく、

「なぜこんな夢を見た」と茫然とした。

そして、、、もう出てこないと思っていた(前回の夢の最後に「さよなら」と聞こえた気がした)小学生の同級生T君が名前だけ出てきた。

それは、



何の夢かというと、






パラレルワールド





の夢である。

そして今朝恐怖で目が覚めて私は悟った。
気付いた、ではなく、悟った。

「日常」は幸せなことなのだ、と。


夢の中で、私は半ば意志に関係なく、あらゆる空間に移動していた。
そして、同じように仲間が一人一人消えていき、私は「知らない場所」「一人」になった。

聞いている分にはそれほどではないかもしれないが、実際当事者になってみると、それはすごい「怖い」ことなのである。

私が夢で体験したことをざっとまとめると、こうなる。

・半ば自分の意志に関係なく、あらゆる場所に出没してしまう
・同じシーンを2~3回繰り返す
・同じように回りの仲間が消えていく
・やがて仲間・家族がいなくなる
・気付くと、どこだか分からない街を一人で歩いている
・携帯で家族、知人に連絡を取ろうとしているところで夢は終わる。

怖かった記憶は残っているが、各シーンの記憶はおぼろげだ。
ただ、断片だけでも残しておきたいと思う。

①電車のシーン

狭い新幹線のような場所。
シートは青で全部前向き。
通路は狭い。
窓の外は閉め切ってあるのか、駅が地下なのか分からないが、暗い、というより黒い。

始発駅からみんなで乗るところ、私は進行方向向かって左の列、前から2列目の席に小学生のときの親友I(実在)と並んで座りたいと思い、速足で後ろの方から席に向かっている。
前の入口からは、おじさんたちが2~3名乗り込んできている。



この一連のシーンを2回見た。

②ハイキングのシーン

①で出てきた小学生のときの親友I(実在)とハイキングをしているところである。Uの字の曲がった道を曲がるところ。私たちのうしろにはおじさんたち(またか)がいるが、別に関係者ではなさそうである。

このシーンを2~3回見た。

というより、夢の中で自覚していたように、

「意図せず同じ場所で同じことを繰り返している」のである。




余談だが、タモリがナビゲータをしていた、「夜にも不思議な物語」で忘れられない話がある。

「そして、くりかえす」という話である。
これは、あるサラリーマンが、何かのきっかけで、毎朝0時になると同じ日の朝に戻っている、という話である。私はこの回の話を20年以上経った今でもよく覚えている。
最近Youtubeで見て、記憶にほとんど違いなかったことに驚いた。
それだけ衝撃的な話だったのだ。

※Youtubeのリンク
「世にも奇妙な物語 #317 「そして、くりかえす」
https://www.youtube.com/watch?v=N-WLbF7fEiU

今回の夢もこれと似ている。短い時間だが、同じシーンを繰り返してしまうのである。

③最後、洋館にて。

広い洋館に、仲間と集っている。
どうやら小学校のときの仲間のようだ。

私の夢には小学校のときの仲間が何回も何回も何回も何回も出てくる。
もう原因を考えるのはやめた。
全く思い当たることはないのだ。

さて、ここから恐怖が始まる。

私と同じように、仲間が突然消える=別の時空に行ってしまう。
あれ、あれという間に皆消える。
私はわあわあ言って青くなり、騒いで洋館の中を走り回っている。

そして、一人になった。

洋館を出る。

そこは広い庭園である。

ここでシーンが少し飛び、私はデパートの中にいる。
もちろん、一人である。

そこで、昔使っていた黒いガラケーでメールを打っている。
そのメールの内容を、私は朝起きたときも鮮明に覚えていた。
以下のような内容である。

「私は一人になりました。
みんな私を置いていく。
完全孤独です。
しかも、ここは日本ではないようです。」
ここから先はよく覚えていない。

ここまで打って、夢の中で私は不安になった。
このメールは届くのだろうか?

そのとき、何かメールが届いた。
開いてみると、広告メールである。
そして、そこには例の(過去の夢日記参照)小学校の同級生T君のフルネームが・・・。

「完全孤独」という文字を朝起きてもしっかり覚えていた。

メールが届くんだろうかと不安になっているところで、目が覚めた。
目が覚めるとき、あまりの怖さで、私は起きたくないと思った。

しかしすぐにこれが夢だと気付き、起きた。
そのときの安堵感と言ったら、ない。

あまりに無意識であった日常生活が、こんなにありがたく思えたことはなかった。

最後に、私には「思い出」になっている夢がもう1つある。
おそらく小学生の頃に観たもので、とても素敵なものだ。
実在する音楽と一緒に記憶している。
その曲の名前が分からないのだが、おそらくクラシックの部類である。
その映像を今でも覚えているので、いつか絵に描いてみたい。